東京都のT幼稚園のお話しです。
先日お伺いした際に、東北の子どもたちの話しになりました。
私もお伺いしている園さんの中で、千葉、東京、横浜、川崎、埼玉…各地で、福島県や宮城県の子どもたちを急遽受け入れているというお話しをお聞きして参りました。
そのT幼稚園へは、まだそういった問い合わせはないものの、「いつでも待ってます」という気持ちで日々過ごしていらっしゃるとのことでした。
園長先生のそのお気持ちが、園だよりの裏表紙に、しっかりありました。
津波で幼稚園が流されてしまったお友達。
T幼稚園に遊びにおいで。いつでも待ってますョ。
八王子市に避難されてきた被災地の園児の臨時入園を受け入れます。
と、小さく表記されておりました。
園だよりとは、基本的にその幼稚園・保育園の保護者の方が読まれるものですが、どこで誰がいつ目にするか、わからない。
園長先生のあたたかい想いが発信されている、素敵な園だよりでした。
今年もできました。
弊社オリジナルの運動会メダルです。
今年で9年目になります。
先代が「こどもたちにホンモノを。」と想い、生まれた、重厚感のある金メダルです。
なぜホンモノがいいのか?
それは、一度手にしたらわかるはず。
ずっと、ずーっと、大人になっても、たからものであり続けて欲しい。
それは、メダルという「モノ」だけではない、その日一日、運動会という舞台で頑張った「想い出」を、たからものとして残してもらいたい。
3歳の運動会、4歳も5歳も…その年の運動会は一生に一度きり。
スポーツの好き嫌いはあるにせよ、その子にとっては家族が自分を応援しに来てくれる、嬉しい日。
「今日は今までで一番頑張るぞ!」って、朝思う日。
これが大人になっても想い出として残ったら、素敵だと思います。
(手前味噌ですが、そんな子どもの想いを大切にしたいって思い、カタチにした父はすごい!って思います。)
今年は被災された子どもたちへ、一部義援金としてあしなが募金に送らせていただきます。
子どもを想うたくさんの大人に、リンドウの想いよ…届け!!
?
5月の話しです。
宮城県仙台市にある幼稚園さんへお邪魔しました。
当初、園見学をさせていただく企画でしたが、震災があり、予定を少し変更するカタチでお伺いして参りました。
「東日本大震災?そのとき園で何が起こったか?」
と、タイトルも変更させていただき、実際に震度6強を味わった園さんで、どんなことが起こっていたのか、また幼稚園が担う地域の役割などを教えていただきました。
プロジェクターを使いながら、とても丁寧に、その時の様子を語って下さった副園長先生。
涙なしでは聞けない、リアルなお話しもたくさんありました。
子どもがまだ園に残っている時間帯に、全てのライフラインが寸断され、大人も困惑・不安な心境に一気に陥ったあの時間。
中でもとても印象深かったお話しを2つ挙げさせていただきます。
1つ目は、避難訓練の見直しのお話し。
実際に大地震を経験されたからこそ気付かれたことだと思いますが、どの園でも避難訓練のマニュアルはお持ちなはず。しかし、「長期化することを想定したマニュアル」はお持ちではないのが現実ではないでしょうか。
この園さんでは、「必ずすべきことリスト」を作成することを決断されたそうです。パニック時には、大の大人でさえ動揺して動けなったというお話しも聞きます。その為、誰が読んでもその通りに動けるという、単純明快さも併せ持ったマニュアルが必要だと。
もう一つ心に残っているお話しは、周囲の状況を見計らいながら、一日でも早く幼稚園を再開できるように努めること。
子どもにとって園生活とは、時間だけでなく、メンタル面でも一番といってもいいほど、生活の大半を占めているもの。
一日でも早く、これまでと同じ生活を送らせてあげることが大切だとおっしゃっていました。
実際に、それまでずっと下痢が続いていた子が、園に来るようになってから治った子がいたとか。
世の中の動きや情勢を見せることは大切ですが、決して大人と同じだけの情報を与えるのがいいとは限らないと私も思います。持ち合わせているキャパが違いますから。
子どもの気持ちを思えば、早く先生や友達に会いたい、早くあの遊具で遊びたい…、この気持ちは常に根底にあり、震災前と後とで心情が大きく変化することはないでしょう。
とてもたくさんの、そして忘れてはいけない、大切な大切なお話しをお伺いすることができ、貴重な時間となりました。
丁寧にお話しして下さった先生方に、感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に、私は一人でもう1泊し、沿岸地域にも足を運びました。
テレビを通して見る景色とは違うとよく耳にしていましたが、本当にその通り。
受ける風や土・海のかおり、そこで現在も生活する方々の話し…。五感を駆使して、体に焼き付けてきたつもりです。
そして、人それぞれ、支援の仕方や考え方に差があるものだと思いますが、私は、また宮城へ遊びに行こうと決めました。
たくさんのあたたかい人に触れ合えたから。また会いに。
ただ一つ、どんな支援の仕方であっても、命がある限り、それを継続させていくことが大事なのではないかと思います。
どんな応援のカタチでも。
そんな風に考えさせられた3日間でした。